メンタルサンドバッグ

30代独身女、病人で働きたいニートの生活と本音をぶつけてます。

「毎日ごろごろしてて幸せだね」に対する答え

私は一応双極性障害という診断を受けて障害者手帳を持つ一応病人という社会的枠組みなので、働いていません。体調がいいときはいいし、無理をすれば無理はできますが(あとで体調を崩しますが)、一定のレベルを保って活動することができず、よって計画的に予定を入れて就業することは難しく、バイトでも働くことができません。体がなんともなくても頭が働かずなにもできなくなることもままあるので仕事をして失敗したらどうしよう、という恐怖と自信のなさもあります。この怖さは同じ系統の病気の人にならわかってもらえるのではないでしょうか。

働いていないので、家にいます。 寝そべって本を読んだり、スマフォをいじってることも多いです。

母は、父の生前からパートをしています。
もうすぐ還暦です。
たまに言われます。
「あんたは毎日ごろごろしてて幸せだね」
と。

なんて答えればいいんでしょうね。
「そうでしょう」とか言えばいいんですかね。それとも「働かせてごめん」でしょうか。
なんて答えを期待されているのでしょうか。

確かに体調のいい日はあります。問題なく過ごせる日もあります。前もって体調が悪くなる日がわかるなら苦労はしません。
頭が働かなくて仕事でミスをしてもひどく他人に迷惑をかけることがなく、具合が悪い日は当日でも休めるなら働きます。しかしそんな職場はありません。

私は幸せでしょうか。
「私が幸せに見えるならそっちのほうがハッピーだね」
あるいは
「親として娘が幸せそうに見えるなら喜ばしいのでは?」
そんな気分なのですが。
というか前の職場で壊れる前に辞めたいと言い、つらいと泣いてパワハラから逃げ出そうとしたとき「次はないからね」「もう雇ってくれるところなんてないからね」と追い詰めて辞めさせず私を壊すのに手を貸したくせにそれを言うのか。

世の中精神障害者はよく自殺を図りますが、その理由には「死にたい」「この世から消えたい」「つらさ苦しさから逃げたい」以外に「不幸の証明」をしなければならないというのも含まれているのではないかな。
私が死んでしまいたい理由を作らないで欲しい。その言葉で社会に必要とされるレベルの人間じゃないと確認させないで欲しい。

「母親は娘には自分より幸せにならないで欲しいと願っている」というのは本当だと思う。




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