メンタルサンドバッグ

30代独身女、病人で働きたいニートの生活と本音をぶつけてます。

最近はゲームと金が切り離せない

パスドラでさっき悪態ついたけど、結局金なんだもん。
いくら払えるか、でなんもかんも決まる。
こう、ゲームですら頑張っても報われない、でも金を払えば解決するのが嫌だ。こっちは人生をハードモードで生きてんのに、ゲームでくらい頑張ったら報われる世界であってください。
もちろん無料で遊ばせろなんて言わないですよ。でも、際限なく青天井で金を使い、使い続けないと遊べないのが嫌だ。

そういうゲームをやらなきゃいいじゃんって話だけど、今ほとんどそんなゲームしかないじゃないですか。なんでアプリとかパソコンでやるゲームって普通に最初にお金払って「ゲームを買う」ってサービスを提供してくれないの?できないわけじゃないでしょ、スーファミ時代からの移植ゲーいっぱいあるんだし。
クロノトリガーがあの質と量を1000円くらいで売れる(開発費の元が取れてるからだろうけど)のに、なんでゲーム会社は、何万も、人によっては何十万も何百万も、永遠に払わせ続けようとするの?
いや、そう、そういうゲームがあるのはいいのよ?そういうゲームがあるのはいい。しかしよく現在の課金システム肯定に、「自分の意思でゲームを続けられるかどうかを選べるのだ」とゲーセンが引き合いに出されることあるけど、私はそれは違うと思ってるけど、その例えに乗るなら、今はゲームをやりたいならどんなゲームでもゲーセンで遊んでください、みたいなサービス提供ばっかりなのが嫌なんだ。
無料で遊べる部分はなくていいから永遠に吸い取ろうともするな、とゲーム会社に言いたい。

私が子供の頃の「普通のゲーム」ってそんなんじゃなかった。誕生日に親に買ってもらえたら、うちで、家族で夢中で遊べるのがゲームだった。ひとつ買えば、一回買えば、本を読むのと同じように何度だって遊び倒せた。友達と同じゲームの話で盛り上がれた。そのゲームを持ってない友達も家に呼んだら一緒に遊べた。追加料金はいらなかった。

あの頃、ゲームは別にお金払い続けなくても何時間でもやりこめて、レベル上げたりゲーム内でアイテム手に入れたり頑張ればラスボスが倒せて楽しかったなあ。

愚痴。




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